創業の精神

75年前、23人で創業した会社は、グローバルで約3万人の社員を有する企業へと成長しました。
その間にいくつもの転換点を超え、今もなお、変化を続けています。
でも、変わらずにあり続けるものがあります。
それは長い歴史のなかで、先人たちによって築かれ、受け継がれてきた「創業の精神」です。
企業文化として根付き、アルプスアルパインのアイデンティティを示す創業者の言葉やさまざまな活動、
ここではその一端をご紹介します。

Chapter01
アルプスアルパイン創業者 片岡 勝太郎〜電子産業とともに生きて〜

1916年 香川県丸亀市生まれ。
神戸高等工業学校(現 神戸大学)卒業後、東京電気(現 東芝)に入社。無線部に配属されるも、まもなく応召し、無線通信将校となります。
戦時中、丈夫で高品質なアメリカやヨーロッパ製の無線部品に触れ、「良いものは国籍を問わず必要とされる」ことを知ります。
この経験をもとに、終戦の日に東芝を退社。1948年 に「片岡電気」を創業します。
当初、実兄を社長とし、自らは専務取締役に。1964年 社名を「アルプス電気」に変更するとともに社長に就任、以降、会長、相談役を歴任し、また、子会社「アルパイン」初代社長、日本電子機械工業会(現 電子情報技術産業協会:JEITA)副会長も務めました。
2005年10月23日永眠。享年89歳

アルプスアルパイン創業者 片岡 勝太郎

アメリカ インディアナポリス市 名誉市民(1986)/勲二等瑞宝章(1987)/韓国 銀塔産業勲章(1988)/宮城県古川市(当時)名誉市民(1990)/香川県丸亀市 名誉市民(1999)/従四位(2005)

Chapter02
1948年 創業〜100~200人の町工場を夢見て〜
創業当時、バラック建ての工場で生産を開始

創業当時、バラック建ての工場で生産を開始

– 町工場「片岡電気」創業 23人の船出

1948年、東京・大田区の現・本社所在地に「片岡電気」を創業。片岡勝太郎は自らの東芝や無線将校の経験をもとに、仲間とともに、ラジオに使用するスイッチとバリコン(選局用の部品)の製造を開始します。「100人か200人ぐらいの町工場で飯を食えればいい」が当時の夢でした。

– 「赤箱」が大ヒット

戦後間もない頃、娯楽の中心であったラジオは高価だっため、アマチュアによるラジオ組み立てがブームに。片岡電気のバリコンは、軍用レベルの高い品質が評判となって大ヒットし、梱包箱の色から「赤箱」の愛称で親しまれました。これにより会社は軌道に乗り、その後の特需景気などを機に企業規模は一気に拡大しました。

バリコンと赤箱 赤箱が並ぶ秋葉原の電気店

バリコンと赤箱(右)
赤箱が並ぶ秋葉原の電気店(上)

Chapter03
1957年 米国視察団参加〜部品メーカーは下請けではない〜

– 国内部品メーカーの自立を訴えて

1957年、片岡勝太郎は業界団体の米国視察団に参画。現地の部品各社を巡る中で「部品メーカーは下請けではない。製品に特徴を持ち、研究・開発に努力すべき」との結論に達します。帰国後、各地での報告会でこれを強く訴え、各社を啓発。その後の電子部品業界の確立へとつながっていきました。

米RCA社の研究所前で(右前が片岡勝太郎)

米RCA社の研究所前で
(右前が片岡勝太郎)

テレビ・ラジオ・パーツショー出展ブース。製品ブランド「アルプス」を全面に

テレビ・ラジオ・パーツショー出展ブース。
製品ブランド「アルプス」を全面に

– 「CEATEC」の原点を業界関係者と立ち上げ

視察団一行は、シカゴで現地部品メーカー主催の展示会を見学。これに刺激を受け、翌年、日本で部品各社を集めた「テレビ・ラジオ・パーツショー」を企画・開催します。これが現在のアジア最大級IT技術・エレクトロニクス国際展示会「CEATEC」の原点です。

Chapter04
1970年 研修センター設置〜「人に賭ける」不変の想い〜
1970年竣工当時

1970年竣工当時

– 社員の成長を支える
「研修センター」を設置

「企業は、世界で戦わなければならない。創意工夫、発想の貧弱な会社は生き残れない。大学卒の誇りだけでは生き残れない。人の能力には、個人差があり、自らを知り、自らの特徴を生かす方策を考えなければならない。」

創立20周年の記念事業として、本社近郊に開設された研修センター。当時、部品メーカーが都心で研修施設を設置することは、あまり例がありませんでした。
2018年の建替えを経て、50年以上にわたり社員の成長を支え続けています。
このエントランスに掲げられた「扉の言葉」は、「人に賭ける」想いを象徴しています。

– 研修センター「扉の言葉」より

企業は潰れやすい
しかし企業が瓦解しても、個人が潰れるわけにはいかない。
自らの「売り物」を堂々と主張できる人間を生み出すために、この道場は常に扉を開く。
「企業は人なり」の教訓は万古不滅のものである。
人の一生は「学び」の連続かも知れない。特にわれわれの属する業界は「技術革新」を餌として伸びて来たといわれ、まさにその連続である。
年年歳歳、この場に集まり散じ、良き師、良き友を得て、自らの資質を高めることは、人生の歓びに通じはしないだろうか。
「天は自ら助くる者を助く」

現在の研修センター

現在の研修センター

Chapter05
終始一誠意〜企業として、人として、誠を貫く〜

– その国に役立ち、その国に根ざす

「発展の途上にある国で事業が成長すれば、その国の経済も成長する。故に、単に低賃金の労働力を利用する考えではいけない。その国の事業をサポートし、必要な援助を惜しまない気持ちで経営にあたる」

この言葉はアルプスアルパインの海外展開の基本理念です。

その国に役立ち、その国に根ざす

1984年、中国での電子産業の立ち上げに寄与すべく、製造設備の輸出を開始

終始一誠意

– 終始一誠意

「人間には『誠』が必要である。友達とのつきあいではもちろん、私たちの商売で、価格、納期、品質など、お得意様からの厳しい要求に、私は『Yes/No』をはっきりと伝えたが、常にお得意様の利益を忘れたことはない。時に、意を決して『No』と言う場合でも、お得意様の将来に繋がる有益なことだと信じながらやったことが多い。その場合、一番必要なことは『誠』だった」

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